世界で最初に自動車旅行したのは「ベンツ」【自動車のCN化-その真実_全てBEVになる日は来ないvol.06】

BEVの特性に道路交通システムを合わせる必要性

世界最初の内燃機関で走るクルマである「Patent Motorwagen」は、「世界で初めて」の「自動車旅行」を行なったクルマでもあります。ただしその時の“個体”は、1885年に形をなしてカール・ベンツ自身がマンハイムの街中を走らせた1号機〜今はミュンヘンにあるドイツ博物館に行くと対面することができます〜ではなく、3号機だったと言われていますが。しかもその旅行はベンツ氏には知らされないまま始まったのだそうです。ドライバーはベルタ・ベンツ夫人。二人の息子が同道して、マンハイムからベルタ夫人の実家のあるカールスルーエ近郊のプフォルツハイムまで片道およそ100kmを往復したのです。
もちろん、この時期の道路は舗装された所などほとんどなく、ただ自動車の登場直前、自転車旅行がブームになっていた時期ではありました。そうした旅行者に宿泊や食事、そして修理のための情報を届けるために始まったのがミシュランのガイドブックだったりするわけですが。排気量954ccの単気筒エンジンの出力は実質1馬力弱、布ベルトによる減速機構だったこともあり、ちょっとした上り坂でも自力では登れず、息子たちが降りて押したことも多かったとか。

「世界で初めての自動車旅行」は1888年8月、カール・ベンツの妻ベルタが、夫の発明品の価値を知らしめようと、ベンツ3号機を駆ってマンハイムから生まれ故郷のプフォルツハイムまで往復約200kmを走った旅(片道約100kmに12時間ほどを要した)、とされる。15歳のオイゲン、14歳のリヒャルトの息子2人が同行、坂道ではクルマを押すなど手伝ったという。この画はその旅の途中でガソリンを購入するために薬局に立ち寄った状況の再現。当時、ガソリンは染み抜き剤などで使われ、この画で薬剤師が持つビンのラベルには「Benzin」とあり、今日でもドイツ他ではこの呼称が使われている。動力ポンプを使った「ガソリンスタンド」の出現・普及は1920年代とされる。(図:Daimler)

そしてこの時、ガソリンスタンドももちろん存在しません。ベルタ夫人が「薬局」で、いわゆるホワイトガソリンを瓶で購入した、という記録が残っています。
それから20年後には、自動車の“大衆化”を牽引した存在、フォード・タイプTが現れ、それと相前後してアメリカでは、今日のように自動車に給油する「ガソリンポンプ」を設置したガソリンステーション、日本流に言うガソリンスタンドが出現。それが世界中に広がって行きました。つまり今、私たちが世界のほぼどこでもクルマを走らせることができる燃料供給のネットワークは、百年とは言わないまでも何十年もの時を費やして、ニーズとともに張り巡らされた結果なのです。
もし今、世界の地上を走っている16億台とも言われるクルマたち(日本国内だけでも8000万台を超えていますが)を、短い年月の中でBEVに置き換えようとするのであれば、百年(以上)の中で築き上げられた道路交通システムと、それが動かしている社会システムまで、BEVの特性に合わせて組み換えることも、同時に進めなければ、「BEVの時代」は始まらない。
まず、どこに出かけても簡便にエネルギー補給が可能なネットワークの整備を、同時に進めることが欠かせません。それは単純に「急速充電器の設置数を増やし、性能を引き上げる」では済むわけがないことは、最近20年近くにわたって機会があればBEVを走らせてきた私の体験からも明らかです。もっとマクロに見れば、日本は日本なりに、そして世界の各地域・国もそれぞれに、エネルギーの生産・輸送・消費のネットワーク、その前提となる「人と物を動かす」社会構造まで見渡して、「どこで、何をどう使い、そのためにはどんなインフラストラクチャーが必要か」を描き、作り、再構築しなければ対応できない変革なのです。
それは、個々人がBEVに買い換えるだけで進むものではありません。社会全体として、どこでどうBEVを使うか、そこにどんな仕組みが必要なのかをプランニングし、さらにそこで現れる自然発生的なニーズを満たすようフレキシブルに動いて、新しい仕組みが自己増殖していくようにしないと、自動車(だけでなく、交通機関全般)を動かすエネルギーの変革は進んでいかないのです。<続く>

(両角岳彦)

 

最新情報をチェックしよう!